よろしくな、と言ったその人を、私はただ見つめることしかできなかった。
言葉を紡ぎ出したくとも、声が震えて、うまく言葉にならない。
涙が溢れて、よく見えない。
「…お師匠、さま…」
最後に呼んだのはいつだっただろうか。
「本当に、お師匠さま、…なのですね」
くしゃり、と頭を撫でられる。
大きくて少し冷たい、大好きな手が、そっと涙を拭ってくれる。
「お師匠…さま…っ」
体に力が入らない。
膝から崩れ落ちた私を、お師匠さまが抱き止める。
体温を感じたら、もう限界だった。
お師匠さまは、叫ぶように泣き出した私を包み込み、そうして長い間、大丈夫だと、もういなくならないと、
まるで幼子をあやすように何度も背中を撫でてくれた。
再会
「…大丈夫か?」
「…はい」
泣き止み大人しくなった私を、お師匠さまはそっと体から離した。
「すまなかったな…」
もういいんですと私が言うと、とても優しい目で私を見て、微笑んでくれた。
「ナイン」
今度は痛いくらいの力強さで、再び私を抱きしめる。
そして私の耳元で、ありがとう、と囁いた。
その途端、胸がぎゅっと苦しくなる。
まるで体のあちこちで炎が燃えているような、この熱さは何だろう。
心臓がドキドキしすぎて、このままでは死んでしまいそうなくらい苦しいのに、同時に幸せだと思ってしまう。
(ナインは、まだ知らないのね)
いつか、そう言ったのは誰だっただろうか。
その言葉の意味を、今知った気がした。
そう、この気持ちは…
「お師匠さま」
「…ん?」
「私、お師匠さまが」
あなたが、好きです。
「!………ナイン…」
驚きに見開かれた目。
戸惑う声が、途方もなく悲しい。
師と弟子として過ごした大切な年月が、想いが、遠ざかる。
こうなることはわかっていた。
わかってはいたが、それでも、伝えたかった。
初めてのこの気持ちを、どうしても伝えたかったのだ。
誰よりも愛するこの人に。
「泣くな…」
泣いてなんかいません、と言いたかったけれど、
勝手にボロボロと涙がこぼれ落ちるものだから何の説得力もない。
「…申し訳、ありません。
今の言葉は…どうか忘れてください」
私の気持ちが伝わらなくても、お師匠さまが生きているというだけで、もう十分ではないか。
身勝手な言葉をぶつけた自分自身が恨めしく、恥ずかしかった。
なんとか笑顔で言葉を紡ぎ出すと、私はそっと離れようとした。
けれど、逆にお師匠さまは私を抱き寄せてしまう。
自然と私の頬は、お師匠さまの逞しい胸にぴたりとくっつくかたちとなった。
伝わってくる鼓動は、お師匠さまのものか、それとも私のものなのか。
「待ちなさい。…ナイン、私はまだ何も言っていないのだが。
…前にも言っただろう?
人の話は最後までちゃんと聞きなさい」
そっと顔を持ち上げられ、間近で見るお師匠さまの表情。
そこには、叱るような口調とは裏腹の優しさがあった。
頬を包み込む手のひらの、冷たいはずの熱に、心臓がまた跳ね上がる。
「…お師匠さま…?」
「…師匠、か」
「?」
「――ひとつ、頼みがある。
……名前を、呼んでくれないか」
天使の理など、今はもう存在しないのに。
「…イザヤールさま…」
この人には、逆らえない。
ねえ、イザヤールさま。
私には、わからないのです。
どうしてそんなに優しいのですか?
どうしてそんな顔をなさるんですか?
どうして、
思考は途絶えた。
唇に残る柔らかな感触。
近すぎる吐息。
赤らめた顔をそらす、イザヤールさま。
何が起こったのかわからずに呆然としている私に気付いたのか、イザヤールさまは少し困ったような顔で笑った。
「私も、同じだ」
「同じ…?」
「ナイン、お前を―――」
* * *
「良かったね、あのふたり」
「……」
「…サンディは、悔しい?」
「!」
「ナインはずっと…。頑張ったよね」
「そんなの!アタシがいちばんわかってる…
…もん… ……ぅ…ひっく…」
「うん」
end.- - - - - - - - - - - - - -
師匠、最後まで言え(笑)
そんなわけで、師匠復帰記念のSSでした。恥ずかしい(笑)
あ、最後のは、サンディと仲間の会話です(※話せる設定)*拍手より再録(ちょい修正)
(2010.7.10)